2011年08月01日

2011年06月03日

久々の・・・

ちょっと色々あって停滞していたんですが、ソロソロ気合入れて再開!
ということで新しいスタイルで再開です。
  

Posted by どっちゃん at 10:02てんこもり劇場・播磨国風土記

2010年11月19日

風土記取材(英賀里)

すすす、すみません。
随分とオサボリ状態で。。。

久々の風土記取材日記の更新です。
今回は英賀神社です。

英賀神社とは2年ほど前に境内散策マップを作らせてもいお世話になりました。
その時のポスターのことは「さんちゃんの遊食日記」に書いてもらってますのでそちらに。

で、場所は英賀保駅から西へちょっと行ったところの、若宮の交差点から南に入ったらあります。
この神社は伊和大神の御子、英賀津彦神と英賀津姫神が祭ってあります。
御子とはいえ1300年程前の話なのでかなり古い神社なんです。



境内はよく掃除されていてとてもきれいです。


境内の中には大戦の碑がちらほら。


手水舎の奥にも以前何かが祀ってあった形跡もあったり。
今は台座だけになっていますが


本殿右に側に社務所があるんですが、その奥の庭には、
阿部知二(小説家・英文学者、明治36~昭和48)の句碑が残っています。
阿部知二氏と友人の高橋秀吉氏が、神社の社務所縁側で資料を
調べていたとき庭に霧の煙が立ち昇っている情景に魅せられて後に
「煙雨」とい作品を作ったとか。


ちなみに(写真撮り忘れていますが・・・)本殿の右側面には、司馬遼太郎氏の「播磨灘物語」の文学碑もあります。
「播磨灘物語」のなかでは、今ちょっと武将ブームでご存知の方も多いと思いますが、ここ英賀の地で黒田官兵衛が活躍するところです。

本殿に上がってみると、もちろん鈴がかかっているのですが、この鈴がボコボコ。
 
何でかというと、祭りのときに、鈴緒をよじ登り素手でゴンゴンとたたくからだそうなガーン
ここの祭りの激しいのはそれだけじゃなく、拝殿に屋台を持ち込み建物中で練るそうな。
さすが姫路の祭じゃわ。

それもそれで、この神社は絵馬がたくさんあるのでうれしい。


中でも和算の絵馬や、子供の習字の絵馬もあり、体力だけじゃなく知力もあった地域だったことをうかがわせる。





そうそう、風土記情報ですが、いつもお世話になってるたつの市埋蔵文化財センターで特別展「播磨国風土記の世界~揖保川流域を中心として~」が開催されてます。


  

Posted by どっちゃん at 14:10てんこもり劇場・播磨国風土記

2010年07月30日

風土記取材(伊勢野)

本編のてんこもり劇場「播磨国風土記」から約3ヶ月遅れで更新してる取材日記です.
実は結構前に取材はしてたのですが、7月は締め切りやら前期終了前やら出張やらが立て続きに入ってしまい、月末になってしまいました...
さて、今回行ったのは姫路市林田町伊勢の周辺です.
姫路からだと、国道29号線を山崎方面に走っていくと、コンビニのポプラ姫路林田南店がある三叉路を側道に入ったところから、今回はスタートします.

まずはポプラの駐車場に車を止めて、裏手にある「梛神社」に行ってきました.



手水鉢が瓢箪の形にくりぬいてあってなんとも.

いわれ










そこそこな量の絵馬がかけてあります.


境内


拝殿







梛神社を出てそのまま北上していくと市立伊勢小学校があります.


そのまま道沿いに走っていくと「伊勢岩屋の森」の看板発見.

今回は土砂降りだったので行くのを断念.

岩屋の森にはいかなけったけど、その途中に「伊勢神社」があるので入っていく.


伊勢神社と思って入っていっているのに、「多賀八幡神社」と表記してある.



とりあえず境内に入っていくと、いわれがありました.
豊受大神を祀る多賀神社と、品陀和気命を祀る八幡神社を、明治39年に合祀したとか.
それで多賀八幡神社と表記もされてるみたいです.










手水鉢を覗いてみると、鯉と亀が彫刻してある.



手水鉢横の井戸は生きていたけど、雨のせいもあったのか怖かった.













伊勢神社を出てカーナビを見るともう少し北に白髭神社と出ているので、ついでにそこにも行ってみる事に.
ちょっと入りにくいわき道に入ると大きな石灯籠が.



30mほどで左手に鳥居.

拝殿に入ると神社の規模にすれば、結構な量の絵馬がかかっていた.
















絵と白い髭...といえばじゃないかー、とか思いつつ。

境内の左手にもまた鳥居が。



詳しくは分からなかったけどここも合祀してる模様でした。




で、白髭神社に行くときにも気になっていたんだけど、採石場。





荒々しく削られている山は痛々しいんだけど、人為的に削られたところにちょっと萌え要素を感じてみたり。

時間の都合で入れなかったけど、林田に掘られた温泉「ゆたりん」


その駐車場で歴史地図発見。
今度は晴れてるときにいってみようかと思います。
  

Posted by どっちゃん at 14:30てんこもり劇場・播磨国風土記

2010年06月16日

取材・神崎郡香寺~福崎町(石作里)

またまたゆっくりな取材日記・・・
今回は伊和から石作と呼ばれるようになった、伊和大神の妹(妻?)の阿和加比売命(あわかひめのみこと)の住んでいた阿和賀山(現在は粟鹿山)に行ってきました。

てなわけで一気に播但連絡道路を使い、和田山まで。
インターチェンジを降りて少し東に走ると、目指す粟鹿神社に着いた。
結構大きく立派な神社です。

















鉄砲をくっつけた絵馬を発見
表に出て向かいの家の塀の上を見ると・・・






1富士2鷹3ナスビ ですか・・・メデタイ!



そのまま山側(南)に登っていくと當勝神社とカーナビにあるので行ってみる。
参道には神社の石柱が。











反対側には狸の置物がお出迎え。







でも上がっていくと赤い鳥居には「當勝大明神」と書かれてる。











そして長い上り坂。






山門の彫り物、凄い。






だいぶん古いのはわかるが山門脇の彫り物が劣化して馬が暴れてるみたいになってる。







入ってすぐ脇にあった絵馬も、絢爛豪華。






最後に載せてる写真の動物ってサメ?ワニ?

本殿凄かったです。






脇のお社も







で、こっちが大明神






こんだけ神社の作りがいいからこっちも期待して、また山登り。


ん?






これだけ???







で、とほほな帰り道。



山道を別ルートで降りていくと、三谷神社が道沿いにあったので、ついでに。










このこじんまりとした作りでこんな雰囲気、意外と好きかも。



坂を降りてきたところでカーナビに、若宮神社が見えるので寄ってみることに。
細い道をウネウネ走ってようやく発見。






ちょっと作りが質素でしたかな。
でもキレイに掃除されたり手入れされてました。
典型的な地元の人しか来ない神社でした。


  

Posted by どっちゃん at 12:15てんこもり劇場・播磨国風土記

2010年05月10日

取材・神崎郡香寺~福崎町(山使里)

どうも年度変わりってどうも忙しくて・・・といつも取材が遅れる理由を年度初めの理由にしてみたり。。。

てなわけで、山崎から中国自動車道路沿いに東へ東へ。
前回の取材の途中で気になっていた香寺の威徳森大神へ寄ってみることに。


道路からちょっと入ったところに階段が。







なかなか見渡しも好くて。
写ってる赤い車が愛車のプリちゃんハート(嫁のだけど・・・)
地図はこちら



カーナビを見るとも少し下にも神社のマークがあるので行ってみる事に。

入口が分からなかったのでクルクル回っていたら境内に。。。



絵馬を見たら戦争物。
昭和9年3月って描いてあるから満州事変・・・かな?



ここで面白いもの発見。

拝殿の格子の横におみくじ売りらしきモノが壁に。


「このところに一銭入るればおみくじがいただかる」と描いてあるところを見るとよほど古いものらしい。
もちろん動きそうにもないのでお金を入れるわけもなく。




そばの拝殿を覗くと、こっちの彫り物は「ねずみ」。



まだ下にも神社のマークがあるので行ってみると、公民館の裏手に「清水森神社」発見。



階段を上がると神輿を入れる建物があり、その前も結構広くなっている。





もう1つ階段を上がっていくと拝殿に。



獅子と狛犬がなんとも愛嬌ある顔をしてて可愛い。

彫り物も立派!


拝殿左手に、ゆがんだ階段。
その上に祠。


奥の祠はもう倒壊寸前なのに、ちゃんと榊が備えてある。


手前のはまだ大丈夫。


降りようとしてたら、嫁が鬼瓦が天狗なのに気が付いた。


他のところのも確認してみたら、天狗なのは1つだけ。
何か意味あるんだろうな。。。




移動途中に狸の彫り物発見。

次いで垣屋城跡の登り口を見つけたんだけど、この調子じゃ今日取材予定のところが終わりそうにないので次の機会にすることに。



元の中国道沿いの道まで戻り、一路福崎町の「大歳神社」へ。

鳥居の左手に上に上がる道が見え、どうも上に駐車スペースがありそうな気配だったので上がっていると車の下で「ゴリッ」という音が・・・

そしてさっさと階段を上がる嫁さま。。。すみません。。。







拝殿の右手にお稲荷さん。

狛狐の前掛けがとてもキュート。





下りも、すりそうだったので嫁を乗せずに降りたら、そこはすりませんでした。
取材にプリウス禁止令が出ると共に、二人で本気でダイエットを考えないとなーと話しながら「二之宮神社」に。




次に向かったのが今回目的の地「二之宮神社」
「神前郡」の話に描いた、建石敷命を祀る神社です。
見るからに立派ですな~。



ホント立派な神社のようで。

とおもったら、鳥居につけられた外灯が・・・
これで、いいのかい?




ここにも天狗の瓦発見。














子供の書いたらしき書の額。

ここにも軍国主義時代の戦争の絵馬が。







なんだか絵馬が面白くこればっか写真を撮ってしまった。




  

Posted by どっちゃん at 10:01てんこもり劇場・播磨国風土記

2010年03月01日

取材・佐用~宍粟(八千軍)

今回も地名に名残のあるところを探すついでに、なにか楽しげなところがないかウロウロすることに。

福崎北ICからひょろひょろ~っと、ちょいと北にいったところに岩尾神社を発見。
この神社の面白いところは写真を見てもらえばわかるけど、鳥居がやけに低い。
造りも慶長16年(1611)とか。


それより驚いたのが、道を挟んで石橋が。


これも同じころに造られたようで、いい味出してます。




社殿

拝殿の中の彫り物がちょっと変わってたので載せます。

入って右手の彫り物


その裏の彫り物


入って左手の彫り物

その裏の彫り物
なんかいい感じでしょ。



で、他にも面白いものないか見たけど見当たらず。
ウロウロ南下してたら、きました!
八千種小学校。


これは八千軍(やちくさ)が八千種に変化して残っている地名とか。

ただ地名が残るくらいで。。。
何もない。。。

右も

左も・・・

まぁ、八千人の軍隊がいたところと思うと確かにずら~っと整列できそうな場所です。


もう少し南下したところの交差点。


そこから右折して西に走ると赤鬼と「じょじょまい」のと書かれた看板が。






明治まで社殿が西向きだったとか。
ん?伊和神社も確か西向き。
何かあるんじゃないかと思わせられる

ついでに言うと見難くくてわかりにくいものだったけど、絵馬も他のところとなんか雰囲気違うテーマのものが掛けられてるようでした。





ところで他のところでもチョコチョコ見るんだけど、額に飾られてる竹の根元はいったいなんなん?


全景としてはこんな感じです。

  

Posted by どっちゃん at 10:04てんこもり劇場・播磨国風土記

2010年01月31日

取材・佐用~宍粟(飯戸阜)

前回の取材地よりちょっと北の波賀になりますが、今回は飯戸阜です。
これといった場所があるわけではなく、その辺の山や丘がそう見えるというだけだったので、今回はちょっと佐用~千種の方でまだ見てないところ経由で、波賀までいきました。

ずいぶん前に記事でも書いた、旧南光町の馬螺ヶ淵のカッパのある三河を北上していると、視界に朽ちかけた家の前になんともいえない門が・・・
つい路駐して写真を撮りに。

素敵だ。
なんともいえないこの草の生えよう!


塀の瓦をよく見ると朝鮮瓦っぽい前垂れがついてる。


門前の溝の石垣を見ると、暗渠になる部分がかなり古そうな感じでいい。
ホントは廃墟の中も散策したいところだったけど、気持ちを抑えて取材に戻ると、すぐ先には第一目的の大森神社が右手に出てくる。









ほぉほぉと見ながら上がっていくと、もちろん手洗舎が。
しかしなにやらちょっと様子が・・・


り・・・リスが・・・。



このリス以外、他の動物は見当たらす。





大森神社から、もう少し北上すると平林のキャンプ場が出てきます。
昨年の洪水でひまわり館から渡る橋が流されてしまった上、キャンプ場内もひどいことに。
今回行ってみるとこの夏からの再開目指して大分修理されてました。









それからもう少し北上すると八重垣神社が出てきます。
八重垣神社といえば島根のが有名です。
ここの神社では素戔男尊と玉依姫命を祀っているようでした。
この2柱が祀られてるのにちょいと?でしたが、でもそう書いてある。
しかしながら由来は拝殿の中にあったのですが、薄暗く見えなかったのでよく読めませんでした。









それはそれで、舞台が面白い。


ソデに唐破風。


窓が火灯窓。
なんてオシャレな。。。



次に寄ったのが産霊神社。
カーナビじゃなく、iPhoneのマップで行こうとしたら、電波がなく、これはちょっとわかりにくかった。











由来もちょっとわからなかった。



千種に入って二宮神社と稲荷大明神













ここは本殿の彫刻に特徴が。


ウサギである。
何でなんだろ?





稲荷大明神の狛狐。
あまりにも凛々し過ぎで、美しかった。




で、ようやく東に向かってえっちらおっちら。
29号線に出て南に下りがけのところにはちらほら丘が。
今回の取材の目玉でございますが。。。いかんせん、ただの丘。



これだけで取材日記はちときついので、佐用~千種回ったんですわ。



さて、前々から宍粟の奥に行って帰りに、写真を撮ろう撮ろうと思って、いつもとり忘れていた碑を今回は忘れず撮ってきました。

鮎友釣り発祥の地の碑です。
あー鮎の塩焼き食いてー。
  

Posted by どっちゃん at 05:04てんこもり劇場・播磨国風土記

2010年01月18日

取材・宍粟(庭音村)

取材には去年のうちにいてたのだが、写真データをアトリエのバックアップ用のハードディスクに保存してしまったがため、取材日記がかなり遅くなってしまった。。。ガーン
まぁ、それを除いても遅筆なんで。。。マンガのほうと連動できず遅くなってて。。。スミマセン。。。

それはそれで。

今回は庭音村。
天日鉾命との勝負に勝った伊和大神が持っていたご飯が濡れて、発酵し、お酒になったから飲んで騒いだというお話でした。
まぁ、戦勝の打ち上げですな。

山崎より北上し、一宮町東市場の交差点を右折します。



すぐに右山手に鬼門荒神社が見えてきます。




もう少し走るとお稲荷さんもあります。

そこを過ぎて右に庭田神社の看板があるのでその手前を右折。
この看板、ちょっと見難いので、見落としに注意です。

庭田神社正面


いわれの看板


大きな杉が道の真ん中、神門まえに。。。












拝殿正面です。




立派な獅子と狛犬がいます。


霊石




本殿、ちょっとしゅっとした入母屋造り。
細身でかっこいいねぇ~。


境内摂社


?倉庫かな?








本殿の裏手に錠前がかけてあったんだけど、なんともかわいい竜の錠前。
境内をぶらぶらして帰ることに。



帰り道、揖保川沿いを下っていると視界に小滝不動尊の看板が!

こら~寄らんと、と左折して山道を登る。


大きな岩がでんと道横に鎮座ましまして。。。


城跡でもあるのかと思うくらい石積みも。


道の細くなる手前で滝の音が。


下を見ると見えました、見えました。


降りてきます。


降りてきます。


東屋があり、なんかいい雰囲気です。


おぉ~。


おおぉ~。
滝もあり、不動尊もおられていい感じでした。



山を降りて川沿いに戻って走ってると、ん!サギだ!
これは珍しいと思いパシャリ。


サギに見えません?
多分これ以上木が伸びたり、葉が落ちたりしたら見れなくなるんだろうな~と思いつつ帰路に着きました。


  

Posted by どっちゃん at 17:37てんこもり劇場・播磨国風土記

2009年12月16日

取材・宍粟(御方里)

11月末に向けてちょっとバタバタでして・・・

合間をぬって取材には行ってたのですが記事にするのが遅くなってしまいました。

で、今回はいよいよ御形神社。
天日鉾命と伊和大神との最終決戦の地です。

場所は伊和神社からそのまま北上。
安積橋を波賀方面に行かずに右折というか直進。道なりに走っていると国道429号に出る。
少し走ると左側に御形神社の看板が出てくるので、指示どうりに進んでいくと、右手に御形神社の石柱が立っています。









手前にある小屋。
何があるのかと入ってみると・・・


観音堂でした。








百度石の上に狛犬が。





山門の内側の彫り物なのですが、左側は唐獅子牡丹。
コレは良くあるし意味も分かる。


問題は右側。
孔雀のような朱雀のような・・・何なんだろ?
誰か知ってる人、教えてください。


抜けると大きな絵馬がありました。







雰囲気のある石灯籠です。
コケの生え具合がなかなかよろしくて。











かなり立派な拝殿でした。





帰り際、ひょっと横を見ると、屋根の先においてあったのであろう手のなくなったおっちゃん(多分布袋さんと思われる)発見。
なんともいい表情で。

巨大絵馬のかかってる建物は実は舞台でその中には百人一首の読み人が描かれた絵馬がずらっと並んでました。


なんとも珍しい・・・と思ってふと目を下げると子供の作った、顔絵馬が。

カワユスな~








で、帰りに近くにある、宍粟市歴史資料館周辺へ。
縄文時代から中世の竪穴式住居や建物が復元されてて、ぶらぶらするにはとてもいいとこでした。












今日は嫁つきなので加古川の方に抜けるため、そのまま播但道に抜けようと道なりに北東へ走っていると、百千家満(おちやま)なる地名が。
変な名前~と思ってたら、草置城への看板が。。。
コレは行かねばと、看板の指す方角へ。

ちょこちょこっと峠を上がっていくと、ありました!




建物があったのだけど、ものすごくチャッチくてちょっとショボン・・・

でも気を取り直して建物奥へと続く階段を登っていくと、山頂には見事な山城遺構が。
そして見晴らしが又良い。







気分良く(ボクだけ?)下山して、元の道に戻り走っていると祠と滝がある風景に。



機嫌よくトンネルを抜けるとおしゃれな建物が。
なんだろと入っていくと生野銀山に来ていた外国人技師ムーセの家とか何とか。
今はムーセ旧居資料館、ムーセハウス写真館として利用されています。
ちなみに兵庫県の指定重要文化財です。


横には生野銀山の跡地がデーンと、


デーンと。

ここでメモリーもなくなたので、ここの取材は終了でした。

  

Posted by どっちゃん at 12:44てんこもり劇場・播磨国風土記

2009年10月31日

取材・宍粟(粳岡)

取材は行ったものの、来月の大イベントに向けてのことやらなんやらでブログを書くのがすっかり遅くなってしまった。。。

さてさて、今回は粳岡なのだが、伊和大神と天日槍命との戦いの中では揖保川流域からちょっと離れてしまうので、どのタイミングで入れようかと思案していたら結局ここまで来てしまった。
まぁ、マンガのほうは地理的なことを考えなくてもいいから、良いのだが。

順路としては山崎のインターから東へ東へ福崎のインター方面へ走ることになる。
山崎ICから東へ少し走ったところに「石作神社」というのがあるので寄ってみる。
石作は風土記にも「石作の里」として登場するのだが(マンガとしてももう少し後のほうで出す予定)、調べていると場所的には伊和神社の辺りとなっている。
まー関係がないわけではないのだろうが、よく分からんからとりあえず寄っていくことにした。

29号線を東に向いて走ると山崎大橋があり、そこをすぐに左に入る。
その次に右に曲がればよかったものをそのまま真っ直ぐ上がってしまい、次の角で右折したら、あら大変。

道がめっちゃ狭い。。。
バギーで来てりゃ問題なかったんだが、今回は実家のハイエースガーン


どうぞこぞ通り抜けていくと、わき道が。


高取山の登山口でした。


そこを越えると石作神社の石段発見。


上がってみると結構立派な神社です。


手水鉢があるので覗いて見ると・・・


ハリガネムシがうねってました。




絵馬の絵もキレイに残ってていい感じです。
お参りして車に戻り、通りまで戻ると願寿寺という大きなお寺が。
結構大きなお寺で、これば別で取材にきたいですな~。




神社へ参るときは願寿寺向かいの須加沢公民館にとめさせてもらうのが一番よさそうです。
そうそうお寺の横に石作神社の鳥居があるのですが、鳥居と社殿の間に中国縦貫が通ってるけど、なんだかなーって感じでした。




そんなことを思いつつ、中国縦貫沿いを一路東へ。


福崎のインター手前国道312号線を右に曲がり、川沿いを少し下り一本目を右折。
道沿いに走っていくと、こんもりとした丘が。



近づいてウロウロ。
特別何があるということもなく。。。


道端に鳥居だけを発見。


近づいてみると一宮興位大神と書いてあるが・・・


どこを見ても社殿は見当たらず。。。

やっぱり鳥居だけ。
かえってネットで見るとそのまま北に少し行ったところに社殿がある様子。
って事はここからが参道?


この日は日も暮れてきたので今日は帰ることに。
また、願寿寺と一之宮興位神社は日を改めて行くかな。

粳岡

  

Posted by どっちゃん at 11:48てんこもり劇場・播磨国風土記

2009年09月17日

取材・宍粟(波加村)

伊和神社を横目に揖保川を上流に上って次の取材地の波賀町に。
バイクに乗ってるときにこの辺は結構走りに来てましたねー。
今回はもちろんバギーちゃんですが。


火魂(かこん)神社


境内にある天然記念物の大ムクノキ


諏訪神社




とりあえず、道の駅「みなみ波賀」で休憩

名物りんごソフトクリーム


で、波賀にはよく来てたけど風土記の取材でどこ行くか悩んだ末、気にはなってるけど行ったことのないところがいいかなと思い波賀城へ行くことに。
道路沿いに見えてたので気にはなってたんだけど行ったことがなかったのでとりあえず向かってみる。



道路が山の上まで整備されているようでバギーで上がっていくと、木々の間に石垣がちらほら。


駐車場から200mほど歩けば城に出られるようです。




道も綺麗に整備されてます。

そこを抜けるとパッと目の前が広がり絶景が!!!




波賀城の中は資料が展示してあり、年表発見。
その中にはもちろん播磨国風土記の記述もあります。



帰り、フワフワと綿毛が飛んでるのに気づき道端をみるといっぱい白くなってました。

そういや田んぼにも彼岸花がちらほら見え始めてたし、もう秋なんですな~。
そんなのん気な取材でした。


  


Posted by どっちゃん at 12:00てんこもり劇場・播磨国風土記

2009年09月16日

取材・宍粟(再:伊加麻川)

前回途中でチェーンが切れ、ブレーキの故障にみまわれたバギー。
1週間ほどで修理され帰って来た。
¥35000也~

まー、それでも復活してご機嫌にクリクリ走っているので今度こそリベンジと伊加麻川へ。
今度は先に素直に上流へと上がってみる。


途中にあった野外活動センター。

ん?ここはたしか宍粟市のはず。
見難いですが姫路市野外活動センターになってる。










どうもこれ以上は行けなさげな所に祠があった。


祠の裏手に滝のような水音がするので行ってみると砂防ダムがまるで滝のような。

これが人工物チックじゃなかったら観光名所にもなりそうな感じですな。



引き返して前回チェーンが途中で切れた長水山方面へ。
前回は大雨の後だったので道が砂利で大変な事になってたけど、それも取り除かれ、すんなり奥まで行けた。
そこから城跡まで1kmの標識が。

これは直線距離で1kmなのか道の距離なのかと思いつつもえっちらおっちらと登ってみる。
予想どおり、かなりの急斜面。
運動不足にはキツイかも・・・と思いつつ。


途中「まいるみち」と書かれた謎の碑が。。。まいった道か?












登って行くと簡易トイレが???


山頂付近に家が?
何でこんなところに?
住んでる人がいるのかしら?と思って近づいたら犬に吠えられ、これ以上先に進めず。
断念して下山することに。
後で調べたら長水山信徳寺というお寺だったみたいです。
いろんな人のブログとか見てると山頂には色々あるみたいで。
犬に邪魔されて進めなかったのが悔しいガーン



「まいるみち」は「参る道」だったのね・・・


降りがけ地面を這ってるものが・・・
蛇か!!!と思ったら巨大なミミズが。
僕の足より長い。

そんなこんなで登山に1時間。
下山は早く20分。
普段の運動不足でヘロヘロで足腰はガタガタ。
いや~大変でした。
  


Posted by どっちゃん at 22:10てんこもり劇場・播磨国風土記

2009年08月29日

取材・宍粟(伊加麻川)

前回に続き川ものです。
今回は前回よりもう少し上流にあがったところで、揖保川漁業協同組合のすぐ北の川です。
今回は山登りもあるので久々のバギーで行ってみました。

河口には長水山の登山口の石碑が。


で、ふと振り向くと城があった模様。
長水城については→http://www.hb.pei.jp/shiro/harima/chozui-jyo/

少し上流に上がっていくと登山口発見。


登山口の看板の横を見ると、前に引き続き女郎蜘蛛が。。。





民家の間を抜けていくととても綺麗な川に出ました。


ここから林道。
右が山手、左には小川。

ちょっと上がっていくと先の大雨で土砂が道に流れ出てる道が続いてました。
バギーじゃないとちょいとしんどい道ですな。




どんどん上がっていくと城の石垣らしき段が連なったところに出ました。


石垣は中世城郭に多い野面積みですな。


とか思いつつウロウロしながら写真を撮ろうと道を下っていると、ブチって音が・・・



チェーンが切れたウトウト

仕方がないのでブレーキングだけで山を降り、ショップに電話して連れて帰ってもらうことに。
ん~なんだか中途半端な取材となり申した。。。


  

Posted by どっちゃん at 10:20てんこもり劇場・播磨国風土記

2009年07月31日

取材・宍粟(伊奈加川)

風土記は現在の名称と違っているところもあって、現場を探すのが困難な場合もある。
今回の伊奈加川もその1つで、色々と調べてみたり推測してみたりして見たところ、どうも菅野川でありそうな感じだったので取材を決行することにしてみた。



菅野川のある場所は新宮から山崎に向かって進んでいると「御名(ごみょう)」の交差点を越えた三叉路から左にくいっと回っていくと揖保川沿いに出るところにある支流が菅野川である。

 






川沿いを北西へ進んでいくと、高校時代の通学路へ。



懐かしみつつ進んでいくと、新たに公園ができてるのに気づく。






走ってるとなんとも夏らしい花発見。


ついでに女郎蜘蛛も。



白鷺も。


今は緑に生い茂ってるけど確かこの辺は桜並木がすごかったはず。








花を愛でつつ進んでいくと、前回取材した高家のあるところが見えた。
(赤い矢印のとこ)







そして我が母校。





なんもないな~と思っていたら、山すそに鳥居発見。
参道も草ボウボウ。
こんな道を見つけると、俄然やる気をみせる私。




いざ、あるであろう神社か祠かにレッツゴ~♪



と、少し登っていくと鹿よけの柵がありその向こうは以外にちゃんとした道.



沢もちゃんとあり。



ただ、行けども行けども神社らしきものも、祠らしきものも見当たらず。
ちょいとばて気味で。



だいぶんあがって一息ついてると、なんだか足にぱたぺたとくっつくモノが・・・
ハッと気が付いて見るとなにやらずいぶん昔に川に入って遊んでいたときに見たことのあるようなないような物体がへばりついてるオドロキ

そう、蛭です。
山蛭。
きえ~~~~~~っとなって叩き落とし、一目散に下山。

上るときは襲われなかったのに、下山途中9匹の蛭が足にぺた・・・ぺた・・・ぺた・・・
叩き落としつつ、一度人が通ったから匂いで寄ってきたのか???
とか、考えてるうちに舗装された道路に脱出。



蛭に血は吸われなかったものの、やる気をすっかり吸い取られてしまい今回の取材は終了となった。

川の予定だったので半パンに草履で山に登ったのも悪いのだが、次回からはせめて服装と靴はちゃんと用意していこうと思うばかりで・・・


  

Posted by どっちゃん at 22:01てんこもり劇場・播磨国風土記

2009年06月26日

取材・宍粟(高家)

奪谷から西へ少し行くと、山崎の町内に入ってくる。
この辺は高校に通ってたのでよくウロウロしていた。

でも当時は町並みとか、地域の歴史とかにあまり興味なかったから、単なる古い建物のある町にしか見えなかったが、改めて見るといい感じの町だ。

最初、見晴らしがいい所でと普通に最上山を登っても良かったんだけど、あがるとなると結構大変だし、実際に戦いの最中、天日槍命が休憩を取るには小高い丘ぐらいのほうが上がりやすかろうと、町が見渡せそうなところを探すと、最上山の東南の端に「最上稲荷山・経王院」なるお寺があるのでそこに上ってみることに。

ただ今回、でっかい「ほのぼの号(実家の車)」だったので、止めるところに一苦労。
防災センターの駐車場から歩くことに。

上がり口として見つけたのが、経王院の真下にある恵比須神社

写真でも分かると思うけど道が狭い上、いびつに曲がっていて向こうが見渡せない作りに。
もともとあった赤松氏の時代のお城の名残か?と思いつつ。。。
江戸のころには陣屋のみになってた模様だからその辺は謎ですな。

ともあれ、神社は立派なもの。

ん~素敵だ。


向かって左手をずんずん進むと上がり口発見
途中、児童公園もあるけど、そのまま上がっていくと経王院に。


なかなか見晴らしもよく、景色最高です。

ここならあがってくるのもそんなに大変じゃないし、天日槍命が休憩を取るにはうってつけ。

境内を見渡してると・・・あれ?
大黒さま?よね、これ・・・
恵比寿さまなら鯛を持ってなさるけど・・・ここは下の恵比須神社と関連ないのかな・・・

舌をチョロリと出してお茶目さんだけど。。。

そうそう、あがるときにも気になってたんだけど、恵比須神社の狛犬・・・

お茶目よなー。
本殿これだけ立派やのに。。。

とまぁ、取材をしたついでにここまで来るのも久々だったので、出身校である山崎高校の側を通って見ました。
よっぽど寄ろうかと思ったけど、かれこれ卒業して17年もたっているのに、知ってる先生がいるかどうかも分からず入っていくのに気が引け、車中から校門をパシャリ。
下校中の生徒が結構いたので、超怪しまれたに違いない。。。

  

Posted by どっちゃん at 01:29てんこもり劇場・播磨国風土記

2009年06月01日

取材・宍粟(奪谷)

さてさて、今回は前回訪れた岩田神社の前からスタートです。
今回は葦原志許乎命(伊和大神)が天日槍命が峠を奪い合いの戦いが激しすぎて、まるで蔦がくねくね曲がってるような道になってしまった峠を通ってみる事にしました。


峠の入り口
路肩にはこの先の道がくねっていることを示す標識が発見。

現在は舗装された道路になってしまって、さすがに昔のままとは行かないけど、道のあちこちに舗装されてない側道がちらほら。





この側道のわき道、今回は上らなかったけど、かなり大変だろうなーと思っうほど
舗装された道路もかなりカーブの多い道だった。




見てくださいよこの急斜面!

一度、峠を越えてから、もう一度反対に引き返しながら通ってみてびっくり。

すごい尾根発見。

しかしこの尾根、幅がかなり狭い上両サイドの急なこと、急なこと。



下向いたらひえ~~~って感じで、足がすくんでしまった。

イソイソと帰路へ。。。

山頂付近に差し掛かると地蔵さんを発見(上がりがけに見つけていたんですが)。
近くで写真を撮ろうと近づいて見たら・・・


何かおかしくないですか?次の写真のお地蔵さん。


分かります?
顔がマジックで書かれてるんですニコニコ
頭も塗ってあって、なかなかカワユスで。

まーそんな峠行ったり来たりしてみました。
地図はこちら  

Posted by どっちゃん at 01:26てんこもり劇場・播磨国風土記

2009年04月18日

取材・宍粟(川音村)

取材って大体一日がかりなので、その後記事にするまでに時間がかかって時間がかかって・・・。
今回も桜の満開直前に行ったから、写真では良い季節になっています。
てな分けで、天気もいいし宇原の取材の下調べで、気になってたところも回ることに。

最初は前回の取材地北山神社から、少し南にある三宝荒神社に行きました。
小さな神社なんで駐車場もなく、道が広がっていたのでそこに駐車。
その前には上笹古墳群の公園・まほろばの森の看板が・・・

行きたいのは山々なんですが、ここに行くと一日終わりそうなので今日はいかず。

で、祠のような三宝荒神社





その次はもう少し北上して建速神社。
実は宇原の入り口にある神社です。

高校のときこの辺通って通学していたけど、名前も知らない神社でしたねイヌ
ちなみに「建速」とは素戔嗚尊(すさのおのみこと)の正式名称「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」の事みたいです。
語源としては「荒ぶる」という意味だそうで。

境内には大きな切ガブが。
生えてたらかなり大きかったんでしょう。



それからもう少し北東方向に行って所にある山神神社。
ここがすごかった。

神社の鳥居までのギリギリまで農機具小屋?らしき建物が迫ってる。


車を止めてふと右手を見ると藪に埋もれた土蔵が・・・あぁ素敵メロメロ


土蔵は後で見に行くとして、先に神社へと・・・神社へと・・・鳥居をくぐると左に折れる道が。
そのまま進むと正面にお社らしき建物が・・・山を向いて建ってる?
あれ?なんだか変な方向で・・・。
普通鳥居を越えて進むと神社の拝殿なりお社正面なのですが、ここは違う。


ちょっと不思議な感じもしながらお参り。


で、気になる土蔵の方へ。
道路わきには崩れかけの土塀が・・・
まぁ~ハート


コケなんか生えちゃってハート


草むらに分け入ると風呂釜の後ニコニコ


振り返って反対を見ると愛くるしい廃屋がメロメロ


で、ここにもあったんですが、これって何?
いろんなところで見かけるのですがよく分からないんですが。



帰るため道をウロウロしてると
山崎と新宮の分岐が。

でも海抜のところコンクリートで埋めちゃってわかんないし・・・ガーン

さてさて、ここからが今回の本番。
北上し川戸に入り道浄元毘沙門天へ。



ってもまぁ特段変わったところもなく、こじんまりとした神社でした。




そのまま北上し、岩田神社へ。

神社前の道路が広く膨らんでいてそこへ駐車。




鳥居を越えてから山門まではちょっとした鎮守の森が・・・


って通ってたらシイタケの栽培してはりまして。。。
写真撮り忘れたけど、山門直前で道路が横切ってまして、ちょっとエーウトウト って感じでした。


そこを越えると手水鉢の横にはカエルちゃん。


境内はそこそこ広く、


舞台も良い感じの大きさで。


拝殿の上にはもちろん絵馬。


ぼや~と見てたら、あれ?この絵馬って「忠臣蔵の松の廊下」?
なんでこのシーンが奉納してあるのか不思議。


拝殿を横に回ってたら、良い感じの渡り廊下が。


お社の周りはちょっと近づけなかったけど雰囲気はよくて。




さて帰り。
ず~んと南下して上笹大歳神社へ。
地図上ではあるけどどこか分からず、ウロウロ。
鳥居も見えないし・・・
と思っていた神社の神木らしきものを発見。
民家の脇をスルスル通りぬけるとありましたニコニコ

でもちっちぇえ。
愛らしすぎやわ。


お参りして横の神木見ると灯篭がジョジョ立ちニコニコ



今回はゆっくり天気もよく、ゆっくり回れた取材でした。

  

Posted by どっちゃん at 10:39てんこもり劇場・播磨国風土記

2009年03月26日

取材・宍粟(宇波良)

さて今回は前回書いた香山の里を川を挟んで東側で、「禁酒禁煙是天国」の碑より南側に位置する宇原です。

香島小学校からちょっと南の橋を渡って北を向くと、右手にお寺、その向こうに鳥居が見えたので、ひょこひょこ見に行くと「北山神社」とある。
せっかくなんでちょいとお参りにあがる。

   

長い階段を上がると左手に、「白姫大神」と書かれた赤い鳥居が。


中を覗くとやはりお稲荷さん。


手を合わせてふとお堂横を見ると、古めかしい円筒状の入れ物が。。。
なんとも雰囲気のある入れ物で。。。


お稲荷さんを出て本堂に行くと川向の香山の大歳神社と同じように、建物の下をくぐらないと行けない様になっている建物がある。
ここは橋になってたけど、この構造って何かあるのかな?と思いつつお参りする。


狛犬がちょいとひょうきん。





元の道に戻り山すそを越えて宇原に入る。
このっへんから見ると川向こうの大歳神社のある山もせり出してきていて、てんこもり劇場本編でも書いたけど、入り口のように狭まっている。
そこを超えて宇原に入ると開けた平地があるので、なるほど、それで部屋にたとえたのかと納得。

これから北上すると、また川戸・平見の辺りの揖保川へ東西から山がせり出してきている。
それを超えると山崎へと入っていくのを見ると、宇原はこの地域を家と比喩すると、玄関横の控えの間っぽいなと感じてしまった。

それはそれで、宇原の山すそをぐるっと走ってると、岩田神社を発見。
上がってみることに。



階段まで来て手すりを見て(笑)

水道管やニコニコ
まさかこの中に水は流れてないやろうけど、田舎の人の流用の仕方、かなりおもろい。。。

あがっていくと、もひとつ鳥居。



抜けて境内に入ると梁のすごい農村舞台が。。。

でも何も解説がないなき

手水社に夜と井戸が。。。
ちょっと中を覗くと水がまだたっぷり。

でもちょいとぞぞ~っとした。

本殿に上がりお参りして、


周りの絵馬がすごい。

じっくと堪能して帰ることに。



帰り、人ん家の庭だけど、巨大なトラ発見チョキ
 
  

Posted by どっちゃん at 10:10てんこもり劇場・播磨国風土記

2009年02月23日

取材・宍粟(揖保里・後編と香山里)

さてさて間が開きましたが揖保里の後半です。

屏風岩を過ぎて、てってこてってこ揖保川を北上していきました。
途中うちの実家を横目に新宮中学校を越えて、香山(こうやま)まできました。
ここは以前、香山の里で紹介しているところです。


揖保川から少し山の方に行くと、田んぼの真ん中にポコンと木が茂ってるところがあり、そこに香山の里の碑があります。
ちなみにこの茂みは「香山廃寺」で古い寺院の跡とか。


今は「香山薬師堂」っていてるけど、色気も何もないコンクリートの建物があり、その奥にはお墓らしきものと崩れた五輪塔が並べられてあるだけで。
 
 

なんだかちょっと可哀想な気もしてみたり。。。




そこから山の方を見ると鳥居が見えます。

この鳥居は「大歳神社」なんだけど、実はここは「香山城跡」なんです。
城好きとしてはうきうきな神社なんですメロメロ

ここはその昔、羽柴秀吉軍の黒田官兵衛に攻められて落城、官兵衛初手柄のところとか。
その後に神社のです。

境内は外よりも少し湿度があるような•••山裾にある神社独特の匂いがしてました。
ここの神社の建物はもともとお城だったせいかちょっと変わってて、かなり楽しい。



鳥居から入ってすぐの建物のかがんで下を通ってから、上の本堂に行くようになってるんです。
 

かがんで越えたと思ったら急な階段がニョキッて生えてる。


それを上がっていくとようやく本堂にたどり着く。

なんてお城な雰囲気ムンムンの神社なんだと楽しめます。

お参りしようとして気がついたんだけどここの「狛犬」さんお子様付でハート


降りてきて車に乗ろうとして発見。
鳥居の横の灯篭の穴の部分が「光」と「和」と抜いてある。



おぉ~やっぱりこの神社好きだなー。


てな分けで揖保川に戻り川を越えてみることに。

この道は僕の高校への通学路で毎日通った道でして。ええ。
普通は川の西側を通った方が普通ですが、車が多く通るので川の東を通るちょっと遠回りの道をしてました。

そのときから気になっていたお墓の横に碑(?)があるので久しぶりにちょっと立ち寄ってみました。

なにせその碑には「禁酒禁煙是天国」って彫ってあるんです。

ここの人は酒に溺れて煙に巻かれて亡くなったのか、それとも逆にやめることによって救われたのか、それともこれは家訓なのか・・・何せ謎なまま毎日見ながら高校へ行ってましてね。
いまだに謎ですが。。。


取材はここまでだったんだけど、ついでなんでもっと北上し、山崎の「よい温泉」へ行くことに。
ガチョウがガーとお出迎えしてくれました。



せっかく来たので帰りに「与位の洞門」の写真をパシャリ。

明治以前はここは繋がってなくて、川側の岩に穴を開け棒を差して岩沿いに橋をかけて通っていたそうです。
川の上を渡るのは危険で交通の難所だったので、明治時代に穴を空けて通れるようにしたそうです。
最初は村人が2年がかりでノミとカナヅチで掘ったとか。
それから段々と穴を広げていって今のサイズまで広げたそうです。

すごいですな~、これぞ「虚仮の一念、岩をも通す」ですな。


  

Posted by どっちゃん at 01:05てんこもり劇場・播磨国風土記