2007年07月11日

宝塚・手塚治虫記念館周辺取材

熊本から帰ってきてから一息、また取材に行ってきました。
タイトルどうり宝塚の手塚治虫記念館周辺の取材に。



今回は範囲が広いのと、雨なのと、近場(?)だったので車で行ってきました。
午前中に書き物仕事(メールとか)ある程度終わらせて、11時に山陽・龍野から宝塚へ。
雨がシャンシャコ降ってるし、車に乗るとどうも眠たくなる癖が出てきて、途中パーキングで15分ほど仮眠を取る。

宝塚にて、とりあえず町中ウロウロ。
小雨の振る中、路駐して、カメラ片手に走りまわってきました。

同じ道を何回も行ったり来たりしてたのでかなり怪しまれつつ・・・。




写真中央の木の生えてる家が手塚治虫が住んでた家



事前に色々調べて行ったんだけど、どうしても何箇所か分からなくて3時半頃に手塚記念館によって、館長さんと担当さん同行で再度見に行きました。


帰り、大通りに出ようと歩いていると、そばの住宅展示場のど真ん中に見慣れないものが・・・オドロキ
ななななんと、メリーゴーランドがで~~~~んとある。




しかしまぁ、町はいたって普通なんだけど、なんとなくだけど町全体がメルヘンな匂いがしてる所だねぇ・・・。


 地図はこちら

  

Posted by どっちゃん at 05:29さて、

2007年07月05日

とりあえず、続けて・・・・

日記書いてみてます。

先ほど、帰って来ました。(1:32)
何からかって?

会議から。

また僕が言いだしっぺの企画なんだけど、身内だけで行うわけじゃないから、内容はまだしゃべっちゃダメって念押しされてるのが、ツライ、ツライ・・・ガーン

それと、もひとつ注意された。
20時半過ぎてから召集かけるなって・・・・・パーンチ
毎度のことなんだけど、また思い付きでして・・・スビバセンです・・・・。
でも、思いついちゃったんだからしょうがない。。。


話し変わって、昨日(一昨日か?)に引き続き夏の参考作品はっつけます。
今日はマリオネットなんですが、どこかで見たことあると思いませんか?





エヘヘ。  そうです。
ブログサイトのヘッダーの弁士のカッパちゃんです。

ちなみにこのカッパちゃん・・・名前はまだ決まってないんですわ。
「ガ左ゑ門」とかでエエかなーとか思ってみたりもしてるんだけど・・・。

まぁ、そのうち気が向いたら決めるかな。


そうそう、お知らせ。
今週末、7月7日土曜日にうちの「龍野藝術工房 伊勢屋」と「常照寺」と「梅玉旅館」で七夕祭します。

地図はこちら

夕方までに京都から帰ってくる予定なので、よければ会いに来て下さいな~good  

Posted by どっちゃん at 02:15企画事

2007年07月03日

あまりにも・・・

書いてなかったので、ちょっとお仕事のこととか。


この夏休みも色々なところでワークショップします。
で、先日からチョコチョコと参考作品作ってますので、その紹介なんかしてみます。

本日の作品は、「ふわふわ粘土で作る動物」です。




  

Posted by どっちゃん at 23:10ゲー術

2007年07月02日

取材日記・龍野

さてさて。
本日はてんこもり劇場更新の日で、例によって取材日記です。

第2回目からは予告どうり現在残っている市郡のくくりで、播磨国風土記に起源があるものを上げていきたいと思います。

てなわけで今回は一番地元の龍野です。
由来は出雲出身の相撲の始祖で、殉職の代わりに埴輪を作った人の野見宿禰(のみのすくね)です。

ヘッダーにの冒頭部分でもちょっと載せてますが、実は風土記の中では相撲のことや、殉職をやめさせた事については載っていませんが、同じ頃に書かれている「日本書紀」に載っています。

というのも、ただいきなり野見宿禰云々と書いても分かりにくい人もいるかなと思ったので、載せてみました。

もう少し詳しく紹介すると、垂仁天皇の時代、当麻蹴速(たいまのけはや)という力持ちがいて「世の中で一番俺が強いんだ~」と豪語していたそうで。
それを聞いた天皇が、「そんなことはない、他にいないか?」と全国を探させた時に出てきたのが野見宿禰。

それにより歴史上最初の相撲(角力、日本書紀では捔力)が行われました。
ただ、当時の相撲というのは今で言う異種格闘技見たいな感じで、蹴りもありで決め手は野見宿禰が当麻蹴の腰を踏み折って勝ったとのことです。
で、勝った野見宿禰は当麻蹴速が持っていた大和国・当麻の地を与えられて、朝廷に仕えました。

それから、皇后の葬儀の時、殉死にかえて埴輪を案出し、土師臣(はじのおみ)の姓を与えられたとされています。
土師氏は埴輪を作るだけではなく、代々の天皇の葬儀を司り、後に姓を大江や菅原に変えたとのことです。


余談ですが、相撲で土俵入りをする時、塩をまいたり四股を踏みますが、塩まきは清め・四股踏みは邪気払い(黄泉の力を封じる)儀式だと、何かで読んだ記憶がある・・・確か。

ということは、葬儀を司ってた土師氏が邪気(黄泉)を封じる儀式として土俵入りをしていたとすると、相撲と葬儀がつながって見えてきましたりして・・・ええ。

そんなことを思いつつ土俵を見てると、だんだん土俵が円墳に見えてならない今日この頃・・・。

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あ~ぁ、土俵の周りにちょっと埴輪を置いてみたい・・・。




・・・・さてさて、本題に戻って。。。

久しぶりに野見宿禰神社に行ってきました。

近くの駐車場(龍野神社)まで車で行こうかと思ったのですが、日々の運動不足解消にと思い、アトリエから歩いていくことにしました。

出発は龍野観光駐車場(揖保川沿いのところです・・・ってその裏がアトリエなんで・・・)。
てこてこ歩いて龍野城経由でもみじ谷を登っていき、野見宿禰神社へ行ってきました。
途中、林の中でガサガサ音がするので何かと思うと鹿がこっちをジーっと見てたりしてて。

神社の階段前に展望台があり休憩ついでにそこから町を見ようかと思ってみたものの・・・木々が生い茂り町並みがほとんど見えねぇ・・・ガーン
あぁ~ここもかよ!と思ってしまった。

ついでなんでちょっと(・・・また?)余談。
播磨地域における山頂もしくは丘の展望台スペースの手入れのされてなさは目に余る。
視界よりも高い位置に葉っぱが生い茂っているのはいかがなものか?
「展望台」って書いてあると普通景色が眺望できると思ってワザワザいくのに、上がっても木が茂っていて見えないんじゃぁ、意味ないじゃないの???

前も某公園(龍野じゃないよ)でそのこと言ったら、整備はやってると言われた。
してるとは思うよ、・・・・足元だけは、それなりに。
歩くところは整備されてるけど木の上のほうはほったらかしやって言ってるのに・・・全然聞く気が無いようで。
観光で来てる人たちが楽しむよりも、自分らが仕事で楽する方のが重要なんですよねー、管理する人たちは。
あ~ぁ、そんな人間が管理してるところを観光地なんて言うなよっ!て思う今日この頃・・・。


さてさて、話を戻して。

神社へ向かうボロボロの石段の両端には、龍野の最盛期には「芸妓百人」といわれていた頃の名残の芸妓の玉垣と、龍野巡業あった頃の角道隆盛を祈願した力士の玉垣が並んでいます。

石段を登った先には石の扉があり、そこで手を合わせて降りてきた。





帰りは龍野神社側へ抜ける道から降りてきた。

途中、第44代横綱栃錦直筆「力水」の碑が立ってる湧き水で手を洗い聚遠亭(しゅうえんてい)へ回って降りてきた。
しかしまたまた聚遠亭でも眺望できず・・・はぁぁぁ~って感じでした。



そうそう、聚遠亭を降りたところに元は土俵があったとか。
今は見る影もないけどねー。

相撲の始祖が眠る土地としては寂しい限りで・・・。


まぁ、そんんこんなの龍野取材でござった。

地図はこちら


それはさておき、ここのところホント・・・全然ブログ書いてないじゃん(-_-;)
バタバタはしてたんだけど。。。
ちょとまじめに書かねば・・・。  

Posted by どっちゃん at 19:39てんこもり劇場・播磨国風土記