2007年06月04日
EDHショートフィルム@姫路お城まつり、作品募集について
この夏、「姫路お城まつり」でショートフィルムの上映会を行います。
で、そこで今回の企画に際して上映作品の募集を行います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
趣旨
Ecrans de Harimaはフィルム上映を中心とした文化、教育、福祉、地域交流イベントを行い、
映画文化の普及・発展を目指しています。
今回は、姫路城周辺に市民、観光客が多く集まる「お城まつり」の期間中のイベントの
一環としてショートフイルムフェスティバルを開催します。
多くの人に作品を見てもらう上映の場、機会を作りましたので上映作品を広く公募いたします。
■応募資格■・個人・グループ問わず応募可
・作品は国内外問わず、オリジナル作品に限ります。
■応募作品■・市販DVDプレーヤーで上映可能なフォーマットで
30分以内の映像作品(エンドクレジットを含む総尺)
■応募方法■・応募申込書に必要事項を記入の上、DVDと共に
下記まで郵送してください。
・1作品につき応募用紙を1枚提出。(複数応募可)
・出品費は無料です。(郵送費は個人負担)
*原則、応募作品の返還は行ないません。
【郵送先・問合せ先】
〒679-4327たつの市新宮町中野庄249-4上田宛
EDHショートフイルムフェスティバル事務局
TEL 0791(75)3701
【応募作品提出期限】
2007年6月1日(金)~7月10日(火)必着
■選考方法■ 当運営事務局及び関係者からなる審査委員会に
より鑑賞作品を選考します。
■結果通知■ 選考結果は2007年7月中に電子メールにて
通知します。
■応募についての注意事項■・作品応募は作品権利者または作品権利者から
委託を受けた者のみ可能です。
・作品は、応募者本人に著作権が帰属している
ことが原則です。
使用されている音楽や映像などの著作権や肖像権
など、製作者以外に権利にあるものは、必ず事前に
許可を得てから応募して下さい。
・応募作品の権利は製作者にあります。
但し、全ての応募作品は本上映会の審査のための
上映及び、一般上映を無償で行います。
・応募作品の内容が以下に該当すると主催者が
判断した場合、審査の対象外となります。
1.公序良俗に反する内容が含まれる作品
2.第三者の著作権、肖像権その他の権利を
侵害する内容が含まれる作品。
3.第三者を誹謗中傷、または不利益を与える
可能性のある内容が含まれる作品。
・不測の事故による損傷・紛失等については
主催者は一切責任を持ちません。
・第三者からの権利侵害・損害賠償がなされた時は、
主催者は一切の責任を負いません。
応募者が自らの責任と負担で対処してください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょっと画像悪くてすみません。
もうすぐちゃんとしたのUPできるようします。。。
で、そこで今回の企画に際して上映作品の募集を行います。

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趣旨
Ecrans de Harimaはフィルム上映を中心とした文化、教育、福祉、地域交流イベントを行い、
映画文化の普及・発展を目指しています。
今回は、姫路城周辺に市民、観光客が多く集まる「お城まつり」の期間中のイベントの
一環としてショートフイルムフェスティバルを開催します。
多くの人に作品を見てもらう上映の場、機会を作りましたので上映作品を広く公募いたします。
■応募資格■・個人・グループ問わず応募可
・作品は国内外問わず、オリジナル作品に限ります。
■応募作品■・市販DVDプレーヤーで上映可能なフォーマットで
30分以内の映像作品(エンドクレジットを含む総尺)
■応募方法■・応募申込書に必要事項を記入の上、DVDと共に
下記まで郵送してください。
・1作品につき応募用紙を1枚提出。(複数応募可)
・出品費は無料です。(郵送費は個人負担)
*原則、応募作品の返還は行ないません。
【郵送先・問合せ先】
〒679-4327たつの市新宮町中野庄249-4上田宛
EDHショートフイルムフェスティバル事務局
TEL 0791(75)3701
【応募作品提出期限】
2007年6月1日(金)~7月10日(火)必着
■選考方法■ 当運営事務局及び関係者からなる審査委員会に
より鑑賞作品を選考します。
■結果通知■ 選考結果は2007年7月中に電子メールにて
通知します。
■応募についての注意事項■・作品応募は作品権利者または作品権利者から
委託を受けた者のみ可能です。
・作品は、応募者本人に著作権が帰属している
ことが原則です。
使用されている音楽や映像などの著作権や肖像権
など、製作者以外に権利にあるものは、必ず事前に
許可を得てから応募して下さい。
・応募作品の権利は製作者にあります。
但し、全ての応募作品は本上映会の審査のための
上映及び、一般上映を無償で行います。
・応募作品の内容が以下に該当すると主催者が
判断した場合、審査の対象外となります。
1.公序良俗に反する内容が含まれる作品
2.第三者の著作権、肖像権その他の権利を
侵害する内容が含まれる作品。
3.第三者を誹謗中傷、または不利益を与える
可能性のある内容が含まれる作品。
・不測の事故による損傷・紛失等については
主催者は一切責任を持ちません。
・第三者からの権利侵害・損害賠償がなされた時は、
主催者は一切の責任を負いません。
応募者が自らの責任と負担で対処してください。

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ちょっと画像悪くてすみません。
もうすぐちゃんとしたのUPできるようします。。。
2007年06月02日
てんこもり劇場・播磨国風土記~針間井~
今月から始まりました「てんこもり劇場・播磨国風土記」突然始まったので何のことやら分からない方も多いと思いますので、そのいきさつを少し。
先月15日にてんこもりスタッフ・フジさんと新人ザキさんが訪ねて来られまして、ブログのヘッダーのイラストを頼まれました。
例のアヒル会議の時です。
描く内容はもちろん播磨のこと。
でも今あるものは結構描かれ尽くしてるし、現存している表面的なものだけをなぞるのは簡単だけど面白くないし・・・。
で、せっかくするなら知識がついて楽しいくて、描くものがいっぱいあるほうがいいのでは?と提案。
そこで「播磨を知るには先ずは播磨国風土記でしょう!」ってなわけで今回からマンガ連載することになりました。
とは言うものの、私自身風土記に興味はあったのですが、全部の話を読み砕いて理解している分けじゃないので、これを機に文献あさりと取材を敢行して、播磨各地の起源を紐解きながら立派な「播磨国風土記マスター」を目指したいと思います(笑)
描くにあたって、もう一度風土記を眺めていたのですが(もちろん現代語に解釈されたものです)、播磨国風土記自体は東の方から地域別に書かれているので、地域に重点をおいて見るにはこれでいいのですが、
これだと物語としてはちょっと分かりにくいかな~と思ってしまった。
それならば、先ずは風土記にその名称の起源の残るもの(国名をはじめ現在ある市郡のくくりで)から書き出していこうと思います。
その後は時系列的に物語を展開していった方が、播磨国ができてきた時代の、太古の時間の流れを感じてもらえると思うので、その流れで進めていきます。
注:市郡のくくりで行くので町名・村名や字といったものはその後の物語の中で取り上げていきます。
で、はじめはもちろん「播磨」の名称についてです。
さてこの名前、どこからどのように来た(発生?)のでしょう?
実は播磨国風土記は、巻頭から明石の郡までの部分がなくなっているので、国名の由来もなくなっているので実際には分からないといえば分からないんです。
でも本文や他の文献に話が出てきていて、諸説あります。
しかしやはりそこは断定したいもの。
いろいろな人が探しています。
他の文献や史跡等で残っている事や学者先生の研究をふまえ、現在一番有力な説を採用しました。
すでにヘッダーのマンガで描いていますが播磨は「針間井(はりまい)」から来ています。
「萩(はぎ)の間(ま)の井戸」から表記が「針間井」に変わり「播磨」となったとの事です。
風土記では中ごろで揖保の郡(いぼのこおり)。
時系列的には中ごろ(中期)後半の話です。
そのほかの播磨の由来とされているものとして、「弓のように張った浜」「雨の晴れ間」「浜の延音」・・・などなど、あります。
で、ここまできたら次は取材。
地図上で見ると「針間井」のある「萩原(はいばら)神社」が見当たらない・・・。
そんな時、考古学やら文化財のこととなるといつもお世話になってる、たつの市教育委員会のY氏に場所を教えてもらい探してきました。
で、だいたいの場所を教えてもらい、いざ「萩原神社」へ。
国道2号線姫路方面から相生方面に西向きに走り、揖保小学校あたりを左折・南に下って行けば揖保町萩原にあたるはず・・・が、
天下無敵の方向音痴、どこでどう間違ったのか全然分からない。
軽自動車で行ったけど道が狭くて怖い怖い。
狭い村の中をグルグルまわって、立ち話をしている同じおばあちゃんの前を2度ほど通過し、20分ほどウロウロしてどうにかこうにか土手へ上がる道を見つけて一安心。
とりあえず分からなければ、土手沿いに走っていると見つかるとのことだったので、上がってみました。
それから、土手沿いを南へちょちょっと走ると、それらしきコンモリとした木立の固まりと建物を発見。
土手の上に車を止め、近づくとビンゴ!
ようやく「萩原神社」発見しました。


先ず目に入ってのは、木立に囲まれた神社の境内の真ん中に芝で作られた井戸を模した丸い円。
その横には「針間井」遺称地の石碑と石灯籠。
社の中にはいくつかの絵馬と昔の萩原神社の写真が飾ってあり、社の右手には歌碑、裏には石塔が4つほどおいてありました。






播磨名称発祥の地としては、少々寂しいような感じも受けましたが、何もないここだから10何世紀もひっそりと伝承されてきたのかもなぁ・・・とか考えながら田舎である好さを感じてみました。
取材を終え、土手をから降りようと南へどんどん下って行き、降り口を見つけたのですが「一般車両立入禁止」の札が・・・あれ?
どうりで土手のど真ん中に車止めてても他の車が来て邪魔になることがなかったのだと納得。
知らぬとは強いものですな、ハハハ。
帰りは妙にすんなりと村を出れまして、すぐに大きな道(といっても2車線だけど)を見つけ、たったと帰れました。
帰りに気が付いたのですがUCCの工場の横から入って道なりに行けばよかったのね。
地図はこちら
先月15日にてんこもりスタッフ・フジさんと新人ザキさんが訪ねて来られまして、ブログのヘッダーのイラストを頼まれました。
例のアヒル会議の時です。
描く内容はもちろん播磨のこと。
でも今あるものは結構描かれ尽くしてるし、現存している表面的なものだけをなぞるのは簡単だけど面白くないし・・・。
で、せっかくするなら知識がついて楽しいくて、描くものがいっぱいあるほうがいいのでは?と提案。
そこで「播磨を知るには先ずは播磨国風土記でしょう!」ってなわけで今回からマンガ連載することになりました。
とは言うものの、私自身風土記に興味はあったのですが、全部の話を読み砕いて理解している分けじゃないので、これを機に文献あさりと取材を敢行して、播磨各地の起源を紐解きながら立派な「播磨国風土記マスター」を目指したいと思います(笑)
描くにあたって、もう一度風土記を眺めていたのですが(もちろん現代語に解釈されたものです)、播磨国風土記自体は東の方から地域別に書かれているので、地域に重点をおいて見るにはこれでいいのですが、
これだと物語としてはちょっと分かりにくいかな~と思ってしまった。
それならば、先ずは風土記にその名称の起源の残るもの(国名をはじめ現在ある市郡のくくりで)から書き出していこうと思います。
その後は時系列的に物語を展開していった方が、播磨国ができてきた時代の、太古の時間の流れを感じてもらえると思うので、その流れで進めていきます。
注:市郡のくくりで行くので町名・村名や字といったものはその後の物語の中で取り上げていきます。
で、はじめはもちろん「播磨」の名称についてです。
さてこの名前、どこからどのように来た(発生?)のでしょう?
実は播磨国風土記は、巻頭から明石の郡までの部分がなくなっているので、国名の由来もなくなっているので実際には分からないといえば分からないんです。
でも本文や他の文献に話が出てきていて、諸説あります。
しかしやはりそこは断定したいもの。
いろいろな人が探しています。
他の文献や史跡等で残っている事や学者先生の研究をふまえ、現在一番有力な説を採用しました。
すでにヘッダーのマンガで描いていますが播磨は「針間井(はりまい)」から来ています。
「萩(はぎ)の間(ま)の井戸」から表記が「針間井」に変わり「播磨」となったとの事です。
風土記では中ごろで揖保の郡(いぼのこおり)。
時系列的には中ごろ(中期)後半の話です。
そのほかの播磨の由来とされているものとして、「弓のように張った浜」「雨の晴れ間」「浜の延音」・・・などなど、あります。
で、ここまできたら次は取材。
地図上で見ると「針間井」のある「萩原(はいばら)神社」が見当たらない・・・。
そんな時、考古学やら文化財のこととなるといつもお世話になってる、たつの市教育委員会のY氏に場所を教えてもらい探してきました。
で、だいたいの場所を教えてもらい、いざ「萩原神社」へ。
国道2号線姫路方面から相生方面に西向きに走り、揖保小学校あたりを左折・南に下って行けば揖保町萩原にあたるはず・・・が、
天下無敵の方向音痴、どこでどう間違ったのか全然分からない。
軽自動車で行ったけど道が狭くて怖い怖い。
狭い村の中をグルグルまわって、立ち話をしている同じおばあちゃんの前を2度ほど通過し、20分ほどウロウロしてどうにかこうにか土手へ上がる道を見つけて一安心。
とりあえず分からなければ、土手沿いに走っていると見つかるとのことだったので、上がってみました。
それから、土手沿いを南へちょちょっと走ると、それらしきコンモリとした木立の固まりと建物を発見。
土手の上に車を止め、近づくとビンゴ!
ようやく「萩原神社」発見しました。


先ず目に入ってのは、木立に囲まれた神社の境内の真ん中に芝で作られた井戸を模した丸い円。
その横には「針間井」遺称地の石碑と石灯籠。
社の中にはいくつかの絵馬と昔の萩原神社の写真が飾ってあり、社の右手には歌碑、裏には石塔が4つほどおいてありました。






播磨名称発祥の地としては、少々寂しいような感じも受けましたが、何もないここだから10何世紀もひっそりと伝承されてきたのかもなぁ・・・とか考えながら田舎である好さを感じてみました。
取材を終え、土手をから降りようと南へどんどん下って行き、降り口を見つけたのですが「一般車両立入禁止」の札が・・・あれ?
どうりで土手のど真ん中に車止めてても他の車が来て邪魔になることがなかったのだと納得。
知らぬとは強いものですな、ハハハ。
帰りは妙にすんなりと村を出れまして、すぐに大きな道(といっても2車線だけど)を見つけ、たったと帰れました。
帰りに気が付いたのですがUCCの工場の横から入って道なりに行けばよかったのね。
