2009年02月23日
取材・宍粟(揖保里・後編と香山里)
さてさて間が開きましたが揖保里の後半です。
屏風岩を過ぎて、てってこてってこ揖保川を北上していきました。
途中うちの実家を横目に新宮中学校を越えて、香山(こうやま)まできました。
ここは以前、香山の里で紹介しているところです。
揖保川から少し山の方に行くと、田んぼの真ん中にポコンと木が茂ってるところがあり、そこに香山の里の碑があります。
ちなみにこの茂みは「香山廃寺」で古い寺院の跡とか。

今は「香山薬師堂」っていてるけど、色気も何もないコンクリートの建物があり、その奥にはお墓らしきものと崩れた五輪塔が並べられてあるだけで。
なんだかちょっと可哀想な気もしてみたり。。。
そこから山の方を見ると鳥居が見えます。
この鳥居は「大歳神社」なんだけど、実はここは「香山城跡」なんです。
城好きとしてはうきうきな神社なんです
ここはその昔、羽柴秀吉軍の黒田官兵衛に攻められて落城、官兵衛初手柄のところとか。
その後に神社のです。
境内は外よりも少し湿度があるような•••山裾にある神社独特の匂いがしてました。
ここの神社の建物はもともとお城だったせいかちょっと変わってて、かなり楽しい。

鳥居から入ってすぐの建物のかがんで下を通ってから、上の本堂に行くようになってるんです。
かがんで越えたと思ったら急な階段がニョキッて生えてる。

それを上がっていくとようやく本堂にたどり着く。
なんてお城な雰囲気ムンムンの神社なんだと楽しめます。
お参りしようとして気がついたんだけどここの「狛犬」さんお子様付で

降りてきて車に乗ろうとして発見。
鳥居の横の灯篭の穴の部分が「光」と「和」と抜いてある。


おぉ~やっぱりこの神社好きだなー。
てな分けで揖保川に戻り川を越えてみることに。
この道は僕の高校への通学路で毎日通った道でして。ええ。
普通は川の西側を通った方が普通ですが、車が多く通るので川の東を通るちょっと遠回りの道をしてました。
そのときから気になっていたお墓の横に碑(?)があるので久しぶりにちょっと立ち寄ってみました。
なにせその碑には「禁酒禁煙是天国」って彫ってあるんです。
ここの人は酒に溺れて煙に巻かれて亡くなったのか、それとも逆にやめることによって救われたのか、それともこれは家訓なのか・・・何せ謎なまま毎日見ながら高校へ行ってましてね。
いまだに謎ですが。。。
取材はここまでだったんだけど、ついでなんでもっと北上し、山崎の「よい温泉」へ行くことに。
ガチョウがガーとお出迎えしてくれました。


せっかく来たので帰りに「与位の洞門」の写真をパシャリ。

明治以前はここは繋がってなくて、川側の岩に穴を開け棒を差して岩沿いに橋をかけて通っていたそうです。
川の上を渡るのは危険で交通の難所だったので、明治時代に穴を空けて通れるようにしたそうです。
最初は村人が2年がかりでノミとカナヅチで掘ったとか。
それから段々と穴を広げていって今のサイズまで広げたそうです。
すごいですな~、これぞ「虚仮の一念、岩をも通す」ですな。
屏風岩を過ぎて、てってこてってこ揖保川を北上していきました。
途中うちの実家を横目に新宮中学校を越えて、香山(こうやま)まできました。
ここは以前、香山の里で紹介しているところです。
揖保川から少し山の方に行くと、田んぼの真ん中にポコンと木が茂ってるところがあり、そこに香山の里の碑があります。
ちなみにこの茂みは「香山廃寺」で古い寺院の跡とか。
今は「香山薬師堂」っていてるけど、色気も何もないコンクリートの建物があり、その奥にはお墓らしきものと崩れた五輪塔が並べられてあるだけで。
なんだかちょっと可哀想な気もしてみたり。。。
そこから山の方を見ると鳥居が見えます。
この鳥居は「大歳神社」なんだけど、実はここは「香山城跡」なんです。
城好きとしてはうきうきな神社なんです

ここはその昔、羽柴秀吉軍の黒田官兵衛に攻められて落城、官兵衛初手柄のところとか。
その後に神社のです。
境内は外よりも少し湿度があるような•••山裾にある神社独特の匂いがしてました。
ここの神社の建物はもともとお城だったせいかちょっと変わってて、かなり楽しい。
鳥居から入ってすぐの建物のかがんで下を通ってから、上の本堂に行くようになってるんです。
かがんで越えたと思ったら急な階段がニョキッて生えてる。
それを上がっていくとようやく本堂にたどり着く。
なんてお城な雰囲気ムンムンの神社なんだと楽しめます。
お参りしようとして気がついたんだけどここの「狛犬」さんお子様付で

降りてきて車に乗ろうとして発見。
鳥居の横の灯篭の穴の部分が「光」と「和」と抜いてある。
おぉ~やっぱりこの神社好きだなー。
てな分けで揖保川に戻り川を越えてみることに。
この道は僕の高校への通学路で毎日通った道でして。ええ。
普通は川の西側を通った方が普通ですが、車が多く通るので川の東を通るちょっと遠回りの道をしてました。
そのときから気になっていたお墓の横に碑(?)があるので久しぶりにちょっと立ち寄ってみました。
なにせその碑には「禁酒禁煙是天国」って彫ってあるんです。
ここの人は酒に溺れて煙に巻かれて亡くなったのか、それとも逆にやめることによって救われたのか、それともこれは家訓なのか・・・何せ謎なまま毎日見ながら高校へ行ってましてね。
いまだに謎ですが。。。
取材はここまでだったんだけど、ついでなんでもっと北上し、山崎の「よい温泉」へ行くことに。
ガチョウがガーとお出迎えしてくれました。
せっかく来たので帰りに「与位の洞門」の写真をパシャリ。
明治以前はここは繋がってなくて、川側の岩に穴を開け棒を差して岩沿いに橋をかけて通っていたそうです。
川の上を渡るのは危険で交通の難所だったので、明治時代に穴を空けて通れるようにしたそうです。
最初は村人が2年がかりでノミとカナヅチで掘ったとか。
それから段々と穴を広げていって今のサイズまで広げたそうです。
すごいですな~、これぞ「虚仮の一念、岩をも通す」ですな。
Posted by どっちゃん at 01:05
│てんこもり劇場・播磨国風土記