2008年03月28日

取材・宍粟(宍禾の郡・伊和村)

なんだかブログ、続けて3日目に突入ニコニコ

佐用で散々な伊和大神でしたが、千種川沿いに上流へ上がっていき千種に抜け、千種から東へ(国道429号線)と進んでいくと、波賀から一宮へとつながります。
一宮は、言わずと知れた本拠地、伊和神社がある場所です。

ようやくここで腰を落ち着け国造りを進め始めます。


伊和神社はそれとなく昔からチョコチョコ行ってて、最近では去年の夏に中学校で教えてた子が久々に帰省しているときに一緒に連れて行きました。

その子は当時就職したてで、上司との考え方の違いや本人の生真面目さがよくない方へ方へといっていて、実際の仕事に行き詰まりを感じたりネガティブ思考になってたから、イロイロと話しながら連れてきましたなー。

佐用の子だったので、昼頃JR姫新線の千本駅に呼び出して近くの千本本陣で蕎麦食って、ほんで姫路の方へブラブラ行ってから伊和神社へ行った・・・よなたしか。

姫路からだと、国道29号線をえっちらおっちら北上し、「道の駅 播磨いちのみや」まで行けば目の前が伊和神社になります。




境内はうっそうとした森になっているから、ちっちゃい頃はかなり恐怖を感じる神社やったわ。
いつもなぜか「と~りゃんせ~、とうりゃんせ~・・・」って歌が頭の中をグルグルまわってて、足を踏み入れたくない場所の一つでねーガーン

なんか、感じるものがあったんやろうね。
今でも境内に入ってすぐは、なんだか身が引きしまる感じがしてならないんだけど。
地図はこちら

ちなみにこの神社は北向きに建ってます。
理由は、自分(伊和大神)の出身である出雲に向かっているとも、社殿の奥にある鶴石に大きな白鶴が二羽石の上に北向きに眠っていたのでその所に社殿を道営したからとも言われてます。

  

Posted by どっちゃん at 02:03てんこもり劇場・播磨国風土記

2008年03月27日

あ、そうそう

今日(いや、すでに昨日か・・・)から神戸新聞の播磨地域版で「はりま伝説夢物語」の連載が始まりました。
で、絵描いてますんで見てねニコニコ

あぁ、でも次の原稿~~~ぉガーン   

Posted by どっちゃん at 00:28肩こり

2008年03月26日

取材・佐用(千種川・筌戸)

皆様ご無沙汰です。
今年に入ってから、絵を描いても描いても全然仕事が終わらず、すっかりスケジュールがグダグダになってるどっつぁんです。

それはそれで、取材日記の続きです。


玉を落とした伊和大神は次は東へと進路をとったと思われます。

佐用での足取りをまとめてみると、佐用都比売神社の前を流れる江川川(玉落川)を県道240号線沿いに上流にのぼり、前回のブログでは逆向きで行きましたが、豊福を越えて県道161号線から平福の方へ抜けたのではないかと思います。
そのまま庵川伝いに寺坂峠(県道443号線)を越えて上三河へ抜けたようです。
次の話となる筌戸はこの上流の辺になります。

ちなみに、上三河に抜けたちょいと下に馬螺ヶ渕って場所があるんですけど、ここに私の作ったカッパの石像が座っていますので近くを通ったさいにでも見に行ってやってください。

地図はこちら
ちなみに、うちの実家の駐車場にも、同じようなカッパの兄弟のカタワレがいます。



峠を越えてぶつかった川は千種川で、佐用では南光側を流れています。
江川川や佐用都比売神社の横を流れている佐用川は、上月の下の久崎の辺りで千種川と合流し、瀬戸内海へと流れでます。

その千種川。
三河を上に上がった久保田のバス停の北側辺りは、大昔に斜面を削った形跡があるとの事です。
どうも西側の尾根がせり出し、川東は大岩があり大きな池のようになっていていたようです。
おかげで千種川は船で渡るしかなかったそうです。
その名残かその真北の山を船越山といい、山の中なのに船で越すなどと不思議な名前がついています。
ちなみに船越山はサルで有名な瑠璃寺のあります。

地図はこちら
ちょっと余談なんですが、瑠璃寺の呼び方なんて言うか知ってます?
うちの地元では「るりでら」と呼んでたのですが、ここ佐用に仕事に来はじめて知ったのですが「るりじ」と呼んでます。
なんだか昔から「るりでら、るりでら」と言っていたからなんだか気持ち悪いのですが、地元の人か言うのが間違いないんでしょうねぇ。



さてさて話を戻して、その大きな池で網を張って魚とりをしたと考えるのは、すごく自然な事ではないでしょうさてさてかねぇ。

しかし今回も思うようにならず、そのまま千種川を上流へと進み、次の土地へと流れて行きます。
  

Posted by どっちゃん at 18:24てんこもり劇場・播磨国風土記