2008年03月26日
取材・佐用(千種川・筌戸)
皆様ご無沙汰です。
今年に入ってから、絵を描いても描いても全然仕事が終わらず、すっかりスケジュールがグダグダになってるどっつぁんです。
それはそれで、取材日記の続きです。
玉を落とした伊和大神は次は東へと進路をとったと思われます。
佐用での足取りをまとめてみると、佐用都比売神社の前を流れる江川川(玉落川)を県道240号線沿いに上流にのぼり、前回のブログでは逆向きで行きましたが、豊福を越えて県道161号線から平福の方へ抜けたのではないかと思います。
そのまま庵川伝いに寺坂峠(県道443号線)を越えて上三河へ抜けたようです。
次の話となる筌戸はこの上流の辺になります。
ちなみに、上三河に抜けたちょいと下に馬螺ヶ渕って場所があるんですけど、ここに私の作ったカッパの石像が座っていますので近くを通ったさいにでも見に行ってやってください。

地図はこちら
ちなみに、うちの実家の駐車場にも、同じようなカッパの兄弟のカタワレがいます。
峠を越えてぶつかった川は千種川で、佐用では南光側を流れています。
江川川や佐用都比売神社の横を流れている佐用川は、上月の下の久崎の辺りで千種川と合流し、瀬戸内海へと流れでます。
その千種川。
三河を上に上がった久保田のバス停の北側辺りは、大昔に斜面を削った形跡があるとの事です。
どうも西側の尾根がせり出し、川東は大岩があり大きな池のようになっていていたようです。
おかげで千種川は船で渡るしかなかったそうです。
その名残かその真北の山を船越山といい、山の中なのに船で越すなどと不思議な名前がついています。
ちなみに船越山はサルで有名な瑠璃寺のあります。

地図はこちら
ちょっと余談なんですが、瑠璃寺の呼び方なんて言うか知ってます?
うちの地元では「るりでら」と呼んでたのですが、ここ佐用に仕事に来はじめて知ったのですが「るりじ」と呼んでます。
なんだか昔から「るりでら、るりでら」と言っていたからなんだか気持ち悪いのですが、地元の人か言うのが間違いないんでしょうねぇ。
さてさて話を戻して、その大きな池で網を張って魚とりをしたと考えるのは、すごく自然な事ではないでしょうさてさてかねぇ。
しかし今回も思うようにならず、そのまま千種川を上流へと進み、次の土地へと流れて行きます。
今年に入ってから、絵を描いても描いても全然仕事が終わらず、すっかりスケジュールがグダグダになってるどっつぁんです。
それはそれで、取材日記の続きです。
玉を落とした伊和大神は次は東へと進路をとったと思われます。
佐用での足取りをまとめてみると、佐用都比売神社の前を流れる江川川(玉落川)を県道240号線沿いに上流にのぼり、前回のブログでは逆向きで行きましたが、豊福を越えて県道161号線から平福の方へ抜けたのではないかと思います。
そのまま庵川伝いに寺坂峠(県道443号線)を越えて上三河へ抜けたようです。
次の話となる筌戸はこの上流の辺になります。
ちなみに、上三河に抜けたちょいと下に馬螺ヶ渕って場所があるんですけど、ここに私の作ったカッパの石像が座っていますので近くを通ったさいにでも見に行ってやってください。

地図はこちら
ちなみに、うちの実家の駐車場にも、同じようなカッパの兄弟のカタワレがいます。
峠を越えてぶつかった川は千種川で、佐用では南光側を流れています。
江川川や佐用都比売神社の横を流れている佐用川は、上月の下の久崎の辺りで千種川と合流し、瀬戸内海へと流れでます。
その千種川。
三河を上に上がった久保田のバス停の北側辺りは、大昔に斜面を削った形跡があるとの事です。
どうも西側の尾根がせり出し、川東は大岩があり大きな池のようになっていていたようです。
おかげで千種川は船で渡るしかなかったそうです。
その名残かその真北の山を船越山といい、山の中なのに船で越すなどと不思議な名前がついています。
ちなみに船越山はサルで有名な瑠璃寺のあります。

地図はこちら
ちょっと余談なんですが、瑠璃寺の呼び方なんて言うか知ってます?
うちの地元では「るりでら」と呼んでたのですが、ここ佐用に仕事に来はじめて知ったのですが「るりじ」と呼んでます。
なんだか昔から「るりでら、るりでら」と言っていたからなんだか気持ち悪いのですが、地元の人か言うのが間違いないんでしょうねぇ。
さてさて話を戻して、その大きな池で網を張って魚とりをしたと考えるのは、すごく自然な事ではないでしょうさてさてかねぇ。
しかし今回も思うようにならず、そのまま千種川を上流へと進み、次の土地へと流れて行きます。
Posted by どっちゃん at
18:24
│てんこもり劇場・播磨国風土記