2007年07月02日

取材日記・龍野

さてさて。
本日はてんこもり劇場更新の日で、例によって取材日記です。

第2回目からは予告どうり現在残っている市郡のくくりで、播磨国風土記に起源があるものを上げていきたいと思います。

てなわけで今回は一番地元の龍野です。
由来は出雲出身の相撲の始祖で、殉職の代わりに埴輪を作った人の野見宿禰(のみのすくね)です。

ヘッダーにの冒頭部分でもちょっと載せてますが、実は風土記の中では相撲のことや、殉職をやめさせた事については載っていませんが、同じ頃に書かれている「日本書紀」に載っています。

というのも、ただいきなり野見宿禰云々と書いても分かりにくい人もいるかなと思ったので、載せてみました。

もう少し詳しく紹介すると、垂仁天皇の時代、当麻蹴速(たいまのけはや)という力持ちがいて「世の中で一番俺が強いんだ~」と豪語していたそうで。
それを聞いた天皇が、「そんなことはない、他にいないか?」と全国を探させた時に出てきたのが野見宿禰。

それにより歴史上最初の相撲(角力、日本書紀では捔力)が行われました。
ただ、当時の相撲というのは今で言う異種格闘技見たいな感じで、蹴りもありで決め手は野見宿禰が当麻蹴の腰を踏み折って勝ったとのことです。
で、勝った野見宿禰は当麻蹴速が持っていた大和国・当麻の地を与えられて、朝廷に仕えました。

それから、皇后の葬儀の時、殉死にかえて埴輪を案出し、土師臣(はじのおみ)の姓を与えられたとされています。
土師氏は埴輪を作るだけではなく、代々の天皇の葬儀を司り、後に姓を大江や菅原に変えたとのことです。


余談ですが、相撲で土俵入りをする時、塩をまいたり四股を踏みますが、塩まきは清め・四股踏みは邪気払い(黄泉の力を封じる)儀式だと、何かで読んだ記憶がある・・・確か。

ということは、葬儀を司ってた土師氏が邪気(黄泉)を封じる儀式として土俵入りをしていたとすると、相撲と葬儀がつながって見えてきましたりして・・・ええ。

そんなことを思いつつ土俵を見てると、だんだん土俵が円墳に見えてならない今日この頃・・・。

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あ~ぁ、土俵の周りにちょっと埴輪を置いてみたい・・・。




・・・・さてさて、本題に戻って。。。

久しぶりに野見宿禰神社に行ってきました。

近くの駐車場(龍野神社)まで車で行こうかと思ったのですが、日々の運動不足解消にと思い、アトリエから歩いていくことにしました。

出発は龍野観光駐車場(揖保川沿いのところです・・・ってその裏がアトリエなんで・・・)。
てこてこ歩いて龍野城経由でもみじ谷を登っていき、野見宿禰神社へ行ってきました。
途中、林の中でガサガサ音がするので何かと思うと鹿がこっちをジーっと見てたりしてて。

神社の階段前に展望台があり休憩ついでにそこから町を見ようかと思ってみたものの・・・木々が生い茂り町並みがほとんど見えねぇ・・・ガーン
あぁ~ここもかよ!と思ってしまった。

ついでなんでちょっと(・・・また?)余談。
播磨地域における山頂もしくは丘の展望台スペースの手入れのされてなさは目に余る。
視界よりも高い位置に葉っぱが生い茂っているのはいかがなものか?
「展望台」って書いてあると普通景色が眺望できると思ってワザワザいくのに、上がっても木が茂っていて見えないんじゃぁ、意味ないじゃないの???

前も某公園(龍野じゃないよ)でそのこと言ったら、整備はやってると言われた。
してるとは思うよ、・・・・足元だけは、それなりに。
歩くところは整備されてるけど木の上のほうはほったらかしやって言ってるのに・・・全然聞く気が無いようで。
観光で来てる人たちが楽しむよりも、自分らが仕事で楽する方のが重要なんですよねー、管理する人たちは。
あ~ぁ、そんな人間が管理してるところを観光地なんて言うなよっ!て思う今日この頃・・・。


さてさて、話を戻して。

神社へ向かうボロボロの石段の両端には、龍野の最盛期には「芸妓百人」といわれていた頃の名残の芸妓の玉垣と、龍野巡業あった頃の角道隆盛を祈願した力士の玉垣が並んでいます。

石段を登った先には石の扉があり、そこで手を合わせて降りてきた。


取材日記・龍野


帰りは龍野神社側へ抜ける道から降りてきた。

途中、第44代横綱栃錦直筆「力水」の碑が立ってる湧き水で手を洗い聚遠亭(しゅうえんてい)へ回って降りてきた。
しかしまたまた聚遠亭でも眺望できず・・・はぁぁぁ~って感じでした。

取材日記・龍野

そうそう、聚遠亭を降りたところに元は土俵があったとか。
今は見る影もないけどねー。

相撲の始祖が眠る土地としては寂しい限りで・・・。


まぁ、そんんこんなの龍野取材でござった。

地図はこちら


それはさておき、ここのところホント・・・全然ブログ書いてないじゃん(-_-;)
バタバタはしてたんだけど。。。
ちょとまじめに書かねば・・・。


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