2008年02月15日

取材・佐用(讃容の郡・玉落川)

「ずぼら王」のどっちゃんです。
書こう書こうと思いながら、取材日記がトンと止まっておりまして・・・エエ。

ちょっとは反省して、今日は続きを書こうかと思います。



さてさて前回からの続き、佐用(讃容の郡)の事の起こりを書き始めています。

で、つぎの「玉落川」についてです。お忘れの方はサイトのトップページから確認お願いしますね。
玉落川は現在の江川川となっています。

周辺事情(古事記・日本書紀と比較した時代背景)は前回説明したので、佐用に入ってからのことから話は始めます。

風土記の中で伊和大神は、播磨国に入って来た経路や一時期だけでもした平定した佐用のくだりはなくて、いきなり佐用都比売神にフラれるシーンから始まります。
原文では、後は淡々と大神の玉が川に落ちたので玉落川と言ったとなっています。

ただそれだけの記述なのですが、古代における玉とは王の証である三種の神器の一つの玉(勾玉)をさすことだし、それを落とすということは戦いで負けて、獲られたと考えるのが自然だと思います。
まぁ今回は佐用都比売神にコテンポパンにされて、王の証の玉を獲られたという、結構シビアな話なんですよね~。
単なるおトボケさんな話ではないんですよ。
面白おかしく描いてますけど。


それから、江川の名称の由来については、スペースの都合で省いてしまったのですが、もともとは吉川と書いていていたそうです。
「稲狭部大吉川(いなさべのおほえかわ)」という者がいたのでこの地を吉川と呼ぶようになったそうです。




さてさて、今回の取材場所は前回行った佐用都比売神社から国道373号線(智頭街道)沿いに北上し、平福を抜けて少し行ったところから、左手の県道161号線に入って行きます。
普通に舗装はしてあるのですが、いかにも田舎の山道で坂を上がっていくと棚田があったりとてもいい感じな道です。


トコトコと坂を越えて県道240号線を右折ししばらく走ると右手唐突に鳥居だけが道に面してあります。
鳥居の横にはバス停「王子」があります。
車を道の右側にある空き地スペースに止め、鳥居を潜りテクテクと山の方へ上がっていくと目的の江川神社にたどり着きます。


ちなみに鳥居越えてチョロチョロ流れているのが江川川です。
江川川自体はそんなに大きな川ではなく、佐用川の支流になります。

山の中腹にこじんまりと神社はあります。
室町時代からある県内最古の建物とか。



そうこうしてると日も陰ってきたので、もう少し奥にある磨崖仏を見てみるために車に乗り、神社の前を横切る道を奥へ奥へ。
どんどん奥に入っていくと道路の右側に石階段があり、お地蔵様が見えたので、降りて近づいてみると「オチチ地蔵」なるものがあった。
ので見てみるとなんとなく地蔵さんの胸がふくらんでいるような気もする・・・




オチチ地蔵を拝んでから、ウロウロしていると神座ナメ磨崖仏の看板を見つけたので車を止める。
磨崖仏がどこかと探してみると、看板の奥の斜面に鎖が・・・
一応、その鎖の始まりには・・・



とあるが、どこを見ても磨崖仏は見当たらず、結局上るしかなかった。

鎖を伝って上がってみました。



・・・すっげー崖です。



そのまま伝って行って磨崖仏も無事発見。



しかし手を合わすこともできず。

帰りもヒョロヒョロと鎖伝いに帰ってきました。

せめて道から磨崖仏が見えるように枝をはらってくれるだけでもしておいてほしかった・・・。


  

Posted by どっちゃん at 19:14てんこもり劇場・播磨国風土記