2007年10月01日

取材・姫路(日女道丘)

いや~、とんとお久しぶりです。
夏は長期の取材やらイベントやらで、書きそびれてズルズルとなっていました。

さてさて第4回のてんこもり劇場は姫路の語源となった日女道丘(現:姫山)の話です。

原稿を描くにあたって調べてたら、ちょっとビックリしたことがありました。
風土記が書かれたころ・・・というか江戸時代あたりまで、姫路平野は川の氾濫で「海に似た状態」だったため、今の市街地は人が住みにくい状態だったそうです。
まぁ、それとなく耳にしていたんだけど、場所的に言うと山陽自動車道路の走っている辺りの山すそから南側がほとんど水浸しだったとか・・・・・・オドロキ

船で新在家のあたりまで行けたってのに驚きですね。

水浸しの状態でポコ・・・ポコ・・・って突出した山(丘)があって、その山すそすそに人が住んでたそうです。

なんでそんなだったかというと、姫路平野には6本の川が流れ込んでいて、それぞれが暴れ川だったたそうです。

きちんと治水がされたのは江戸時代に入ってからで、今の姫路の市街地はそれ以降発展してきたそうです。


そのせいで風土記には現市街地のことはほとんど載ってなく、山すそ沿いの話が載っています。

そこで気になるのは、今の姫路の載っている風土記は「飾磨の郡(しかまのこおり)」
今飾磨と言えば、当時は海だったはずの浜手。

気になったのでちょっと調べてみると、古くはやはり現姫路周辺のかなり広い地域をそう呼んでいたそうです。
ちなみに姫路市の北東部に「飾東(しきとう)」北西部に「飾西(しきさい)」と当時の地名が名残として残っています。

ちょっと余談ですが、廃藩置県により1871年、姫路県が発足しました。姫路も一時期県として存在したんです。
その後、飾磨県となり、1876年兵庫県に統合されて今に至ります。
県庁舎は姫路城からちょっと西に行った薬師山麓の空き地(旧姫路赤十字病院跡地)にあったそうです。


さて、場所ですが・・・皆さんご存知の通りJR姫路駅正面口から出たら、目の前に姫路城が見えます。そこが姫山です。
ちなみに西の丸のあるところは鷺山です。天守閣がある方が姫山です。
駅からテコテコ歩いて15~20分くらいで行けます。

地図はこちら

さすがにここは迷子になりませんです。はい。


そうそう、私が描いた「姫路城の散策マップ」が税込み500円で売店で売っていますので(他のところでも売っていますが)、よろしければ是非お買い求めください(笑)  

Posted by どっちゃん at 00:29てんこもり劇場・播磨国風土記